1941(昭和16)年12月8日、日本軍がハワイの真珠湾に停泊していた米軍の軍艦めがけて不意打ち的に奇襲攻撃をして第二次世界大戦(太平洋戦争)が勃発した。私は、その二か月後の昭和17年2月に、中国の上海で生まれた超希少な戦中世代である。
昭和19年12月に、父に赤紙(召集令状)が届いたために、父は急遽家族を日本に引き揚げさせた。が、私は父の実家の厚木に、上の妹は鎌倉の親戚に、母と生まれたばかりの下の妹は母の実家に、バラバラに預けられた。そのうえで、父は戦地に赴いた。
戦線は、極東アジアの北朝鮮、韓国、中国、モンゴル、東南アジア諸国、太平洋の島々などに拡大していた。戦況は、軍部主導のウソだらけの大本営発表に踊らされ、尚且つ一億総動員令で、全国民が戦争にまい進させられ、各国に多大な迷惑と被害をかけてしまった。制空権を失って日本の主な都市は、B29からの焼夷爆弾の絨毯爆撃で焼き尽くされ、またグラマンなどの戦闘機から機銃掃射で殺害され、ついには広島と長崎に原子爆弾を投下されて、8月15日に終戦。
戦後まもなく、父は腕と脇腹に貫通銃創の傷跡があったが復員(帰還)できたので、父の実家の牛小屋の二階に家族全員が住まうことができた。当時の日本は、食糧難と物不足で困窮し、戦災孤児、浮浪児(者)、傷痍軍人など、悲哀を感じさせる人々が沢山いて、バラックなど住まいに事欠く状態であった。こんな状態であったが、幸いにも父は職を得て、昭和23年に大借金して家屋敷を購入し、畑を借りて野菜作りや庭先で鶏やチャボを飼い、犬も猫も飼えた。一歩間違えれば、中国残留孤児となってテレビを通じて親探しをする羽目に陥ったかもしれないと思うと、私は幸運の部類に属していると思った。
敗戦国日本の惨状に、戦勝国のアメリカは、復興に多大な援助をしてくれ、経済発展を遂げて今やG7の仲間入りできた。また、平和憲法制定と米軍の駐留で、戦後80年以上戦禍に合わずに済み、平和国家として世界中に知られている。
だが、プーチンのウクライナ侵略戦争、イスラエルのネタニヤフのよってパレスチナへのジェノサイド、ドミサイド、アーミサイドさせ、さらに、イスラエルのネタニヤフの煽動に乗って強欲トランプがイランに不意打ち的に奇襲攻撃し、中東諸国に話材を招き、ホルムズ海峡を閉鎖状態に陥らせ世界中を混乱させている。
我が国では、先の衆院選で自民党の圧倒的勝利から、高市政権の独裁的、独走化が見えてきた。現在の平和憲法のもと民主主義の国民主権から、昔の軍事政権時代の独裁的国家主義を目指しているように感じる。平和憲法を改悪し、戦争(反撃武力闘争)できる国にし、国家情報局に国民の監視強化やプライバシーの侵害につながらないとしているが、成立直後だけかも。制定する必要がない国旗損壊罪とスパイ防止関連法案などを、今国会で制定しようとしている。さらに、殺傷、破壊能力がある武器を輸出して金儲けを企むなど、我が国のタガを外そうとしている。現役自衛隊員の国歌斉唱したのは?
我が国は、資源もなく、財政は国債発行でしのぐ大赤字国家であり、農林行政の混乱から食糧安保は心もとない状態なのに、狂気の馬鹿トランプに忖度し、ハグしてオベンチャラを振りまいた高市首相は、防衛予算を大きく拡大してしまった。台湾有事問題での発言で隣国の中国を怒らせ、修復しようとする意志もないから近未来への心配事にならねばいいがと願うのみ。
戦中世代の体験からの心配で、年寄りの冷や水かも
2026(令和8)年4月に投稿したもの