日本が1941(昭和16)年12月に、時の政府が仕掛けた戦争に負けて1945(昭和20年)8月に終戦を迎えた。戦後75年、今日まで平和に過ごせている。戦後まもなく、戦争の反省を踏まえて日本国憲法が制定され今日にまで来たが、この憲法を改正すべきとの意見があることに危険を感じている。
2001(平成13)年9月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された「人と動物との相互作用に関する国際連合」(IAHAIO)に参加するため、サンパウロに到着し乗り継ぎの時間待ちでホテルの部屋に入りテレビを見た。すると、ニューヨークの「世界貿易センター」に飛行機が突っ込んだ映像が繰り返し放映され、アメリカの大統領が「これは戦争だ」と発言したので、とんでもないことが起こったと認識した。その後、ブラジル在住の日本人ガイドの案内で、イグアスの滝をブラジル側からの見物に向かい、翌日アルゼンチン側から見るために国境を越えなければならないが、検問に1時間以上かかるかもとガイドが言った。ところが、国境警備の兵隊は、私のパスポートを見ただけで通過を認めてくれた。国境通過には、現地の人を含めすべてが、荷物の中身などを調べられているのに、私だけがNOチェックの理由が分からないから、兵隊に理由を聞いてもらった。なんと、「日本は平和憲法を持ち、海外に派兵しておらず、人を殺めることがないのでチェックする必要がない」と言われ、ガイド共々ビックリ仰天大喜びした。地球の裏側のアルゼンチン兵が、我が国の平和憲法を知っていたことに大感激した。この旅行は、単独行だったので、他の日本人参加者と、このことを共有・共感できなったことは残念でした。この事件後ただちにアメリカの空港が閉鎖されため、IAHAIO会議への参加者が大幅に減ったが開催できた。会議終了後、アメリカ経由の日本人参加者は出国できず滞在延長を余儀なくされたが、私だけ予定日に飛行機が飛ぶことになり、メキシコのティファナ空港で給油し帰国できた。私は、それまで憲法を殆ど意識せず、その重みを実感したことがなかったので、改めて見直すきっかけになった。
しかし、この事件以降の日本政府は、憲法の解釈変更を重ね海外に自衛隊(軍隊)を派遣し、安全保障という呪縛に捕らわれ、防衛は武力以外にないと軍備拡充を図り、今や我が国の軍事力は世界第5位である。が、私は、交戦・抗戦・好戦で解決できる可能性は低いと思っている。国防は、徹底的に武力衝突(戦争)を回避することであり、対立には議論・討論を合意するまで永遠に続けることである。安全保障の最大の武器は、戦争が勝敗に関係なく悲惨さや極めて非人道的殺人行為であると訴え戦争を回避する対話力であって、軍事力でないと私は思っている。
世界には、武力衝突している国があるが、多くは平和を望んでいるはず、戦後75年平和であり続けられたのは、米軍に依存する部分があったとしても、平和憲法を持っているからだと思っている。我が国の政治家の多くは、憲法を守るべきなのに、憲法改悪を目指し、ドンドン戦争できる国にしようとしている。なんとも嘆かわしい。
更に嘆かわしいのは、核兵器禁止条約の締約国にならない理由に「安全保障の観点が欠けている」とのこと。唯一の被爆国にもかかわらず、我が国が率先して核保有国を含むすべての国に訴えリードする気概が全くなく、なんとも情けなく恥ずかしい。核兵器がもたらすすさまじい悲惨さと生き残っても生涯にわたる後遺症に悩まされるなどを全世界に説明すべきです。戦争は、勝敗に関係なく悲惨さや極めて非人道的殺人行為であり、核兵器使用(核戦争)はその最たるものである。世界は、日本政府の調整役に全く期待してないと思われるから、考え直してもらいたい。
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月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された「人と動物との相互作用に関する国際連合」(IAHAIO)に参加するため、サンパウロに到着し乗り継ぎの時間待ちでホテルの部屋に入りテレビを見た、すると、ニューヨークの「世界貿易センター」に旅客機が突っ込んだ映像が繰り返し放映され、米国大統領が「これは戦争だ」と発言したので、とんでもないことが起こったと認識した。その後、ブラジル在住の日本人ガイドの案内で、イグアスの滝をブラジル側からの見物に向かい、翌日アルゼンチン側から見るために国境を超えるが、この事件のため国境通過が検閲に1時間以上かもしれないとガイドが言った。ところが、国境警備の兵隊は、私のパスポートを見ただけで、通過を認めてくれた。国境通過に現地の人を含めすべてが、荷物の中身などを調べられているのに、私だけがNOチェックの理由が分からないから兵隊に理由を聞いてもらった。なんと、「日本は平和憲法を持ち、海外に派兵しておらず、人を殺めることがないのでチェックする必要がない」と言われ、ガイド共々ビックリ仰天大喜びし、地球の裏側のアルゼンチン兵が、我が国の平和憲法を知っていたいたことに感激した。この旅は、単独行だったので、他の日本人IAHAIO参加者とこのことを共有・共感できなかったことは残念でならない。事件後ただちにアメリカの空港が閉鎖されたためにIAHAIO会議への参加が困難となり、参加者がかなり減ったが開催できた。会議終了後アメリカ経由の日本人参加者は出国できず滞在を余儀なくされたが、私だけ予定の日に飛行機が飛ぶことになり、メキシコのティファナ空港で給油し帰国できた。わたしは、それまで憲法をほとんど意識せず、その重みを実感したことがなかったので、見直すきっかけとなった。
しかし、この事件以降の日本政府は、憲法の解釈の変更を重ね海外に自衛隊(軍隊)をを派遣し、安全保障の呪縛に捕らわれ、防衛は武力以外にないとして軍備拡充を図り、今や我が国の軍事力は世界題5位である。が、私は、交戦・抗戦・好戦好で解決できる可能性は低いと思っている。国の防衛は、徹底的に武力衝突(戦争)を回避することであり、対立には議論・討論を合意するまで永遠に続けること。
世界には、武力衝突している国があるが、多くは平和を望んでいるはず。戦後75年、平和であり続けられたのは、米軍に依存する部分があったとしても、平和憲法があるからだと思っている。この誇るべき平和憲法を世界各国に売り込むべきと思う。我が国の政治家は、本来憲法を守るべきなおに、改悪を目指しドンドン戦争できる国にしようとしている感があり、なんとも嘆かわしい。
更に嘆かわしいのは、核兵器禁止条約の締約国にならない理由に「安全保障の観点が欠けている」とのこと。唯一の被爆国にもかかわらず、我が国が率先して核大国に訴えリードする気概が全くなく、なんとも情けなく恥ずかしい。核兵器がもたらすすさまじい悲惨さと生き残っても長く後遺症に悩まされるなどを全世界に説明するべきです。安全保障の最大の武器?は、戦争の勝敗に関係なく、悲惨さや極めて非人道的殺人行為であると訴え戦争を回避する対話力であって、軍事力でない。最近の我が国の政治情勢は、軍事国家、国家主権を目指している感があり、過去の戦争のように人民を巻き込まないでもらいたいので、平和憲法を壊さないでください。