独語10 一般財団法人ペット災害対策推進協会

一般財団法人ペット災害対策推進協会は、自然災害や人災で大きな被害があった時、現地の地方自治体(都道府県)と地方獣医師会などで構成される現地動物救護本部が行う被災した犬・猫などのペット及びその飼い主の救護に関する活動を、環境省と相まって支援する組織です。

1995(平成7)年の阪神・淡路大震災で被災したペットの救護活動を支援する組織として、1996(平成8)年に任意団体の「緊急災害時動物救援本部」(動物救援本部)が、動物愛護・福祉団体と日本獣医師会が協働して設立され、その後の有珠山噴火災害、三宅島噴火災害、新潟県中越沖地震等で支援活動を行った。
2011(平成23)年に東日本大震災が起こり、東北と関東の太平洋沿岸に大津波が押し寄せ多大な被害が沿岸各県に起こり、さらに福島県では原子力発電所が破壊され、居住不可の地域が出ました。この災害で被災したペットとその飼い主を支援するために高額(約7億円)な義援金が寄せられ、動物救援本部が管理・運営を行った。この動物救援本部の管理・運営・の在り方について疑義があったので、「動物との共生を考える連絡会」と私は、当時の事務局に寄付金の使途について質問状を出した。その回答は、まったく質問に答えず、はぐらかしの内容だったので、同様回答の可能性が高いことから再度の質問をあきらめた。

2014(平成26)年、任意団体の動物救援本部による動物救護活動の問題点が検証され、その結果、新たに「一般財団法人全国緊急災害時動物救援本部」が発足し、その後の管理・運営をを行うことになった。被災自治体と地方獣医師会等で構成される「現地動物救援本部」が行う被災動物救護活動・被災飼い主支援活動に対してサポートすることになった。
この法人発足後間もなく、当法人の寄付金使途について不正があるとして東京地方裁判所に提訴された。この裁判の他にも問題があったので、法人名称変更と理事長交代が決められた。2016(平成28)年に「一般財団法人ペット災害対策推進協会」(災対協)と名称変更し、理事長に私にとなったのだが、私自身は前述のこともあって理事長になるなど全く考えられず固辞してきた。しかし、誰も理事長になってくれる者がいないとのことで、多数の知人を動員して説得されシブシブ理事長になることをを引き受けた。
提訴された裁判が結審し勝訴となったが、この裁判の過程で約7億円の寄付金は、東日本大震災で被災したペットの支援のための義援金だから当該被災ペットにしか使えず、以後の災害時に使うことができないとなってしまった。それ故、基本財産と今後の災対協への寄付金で運営することになるので、いささか危惧された。

この東日本大震災後に、被災ペットを救護するとの名目で寄付金を集める俄か動物愛護・保護団体?と個人が一気に増えた。その実態は、わずか数頭の被災した犬猫を保護し、それを看板に寄付金を集め、自らの生活費などに流用する者が続出した。一種の災害ビジネスの態様であり、以後の災害時に胡散臭い団体が続出するようになったのは問題であり、今後の課題である。

理事長になった直後に、熊本大震災が起こり、凄まじい災害の実態を調査したり現地動物救護本部の設立に向けて調整するなど対応し、動物救護本部が行う被災ペットとその飼い主家族への救護活動を支援した。その後毎年のように豪雨災害等が起こり、災対協への期待が高まり、その都度対応してきた。

ところが、被災ペット支援のための義援金及び災対協への寄付金があまり集まらないので、災害が起こるたびに災対協の基本財源を取り崩して対応せざるを得なくなった。そのうえ事務局移転を求められため、知人の協力を得て超廉価な事務所を借り、交代したN新事務局長の給与を無理やり抑えて経費削減に努めた。公益法人化を目指したが叶わず、収益事業ができない災対協の定款を変えて、収益事業できるようにして改革を図ったが、残念ながら否定されてしまった。
ということで、災対協の財源不足からこのまま運営することが困難であると判明し、赤字転落によって理事各位に負担をかける前に、災対協を解散することになった。解散後の被災ペット支援の仕組みを講ずる必要があるので任意団体の「ペット災害支援協議会」を設立してペットフードとペット用品等の物資の支援をして頂くことになり、災害時の当該自治体がこの協議会に支援を求めることができることになった。
2019(令和1)年12月末で、環境省の了承のもと、災対協を解散・閉鎖し、同時に理事長職を退任することができた。

それにしても。法人団体を解散・閉鎖するのは、誠にややこしいもので、N事務局長のおかげで無事解散・閉鎖できたことに感謝したい。